Green Hill   写真日記
谷田部玲子 Dolls 遺作展

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日  時 平成28年04月10日()〜12日(火)
参加者 約200名(12日)
企画者 K.Y
場  所 日光市小代 栗楓堂にて
スタッフ 滝山夫妻・清水・加藤・田仲・谷田部(伸彦&道代)
(お手伝い)栗林夫妻・安藤夫妻・松浦夫妻・中村夫妻

<概  要>

平成27年4月、病に勝てず逝ってしまった妻。
昨年暮れ、己の身の回りの断捨離を始めようとしたが
彼女が遺したDolls、納戸に約百数十点見つかった。
日の目を見せずに放置してしまうのは夫として耐えられない。
そんな時、滝山夫人や清水夫人・田仲・加藤さん達からの
「日の目を見せて!」との後押しがあり、
指導を受けた「ロマンドール協会栃木支部 師範 廣瀬恵美子先生」に相談結果、
「支援するから是非開催しなさい」と勇気つけられ
子供達が主体となり一周忌を前に「遺作展」を企画展開した。

 
レースドール&ポルセレーヌ

ここの映像は記録として残すため、企画段階から展示作品まで、そのまま撮ったものであり不鮮明なものがあります。

   項     目
1.   企画会議
2.  ハンギングバスケット模様
3. お知らせハガキ&リーフレット
4.  オープニング&庭園模様
5.  展示品記録
6.  あとがき



1.企画会議

2月6日語楽庵にて、スtッフ会議開催

展示会に対する方針・実施内容・費用等意見交換を行う。


スタッフ参加者:滝山夫妻・清水・加藤・田仲・谷田部(伸彦・道代・一雄)

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2.ハンギングバスケット講習会

4月3日作品展を飾る「ハンギングバスケット」講習会を開催



田仲講師のもと、滝山・関・佐藤・菅谷のみなさん


j受講生の作品


昼食に薪で焚いたご飯でカレーを作る

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3.お知らせハガキとリーフレット作成

何れも子供が作成したもの

お知らせのハガキ

リーフレットA面(来館者へお配りしたもの)

リーフレットB面


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4.オープニング   ギター演奏と呈茶席・その他会場模様

<アコースティックギター演奏会>

4月10日(日)オープニングとして、かつて妻の友人であった
日光観光大使でもある「志村 茂」氏のご厚意で
アコースティックギター弾き語りを添えて頂いた。

野外演奏会場
ステージ上で演奏する志村氏
演奏に耳を傾ける来館者1
演奏に耳を傾ける来館者2
演奏に耳を傾ける来館者3
演奏に耳を傾ける来館者4


<呈  茶   席>

友人でもある加藤宗美氏による呈茶席が設けられた。

加藤宗美氏による呈茶席(栗楓堂にて)1
加藤宗美氏による呈茶席(栗楓堂にて)2


<庭園模様>

会場周辺のふれあい模様

語楽庵庭園いて1
語楽庵庭園いて2
栗楓堂会場入り口
語楽庵庭園いて3
語楽庵庭園いて4
語楽庵庭園いて5
栗楓堂受付にて1
栗楓堂広場にて1
栗楓堂広場に2
栗楓堂広場にて3
会場付近の駐車状況
栗楓堂受付にて2
栗楓堂広場・満開の枝垂れサクラ
栗楓堂広場・満開のレンギョ


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5.展示品記録

5−1 ロマンドール


ロマンドール説明
(クリック)

5−2 ポルセレーヌ


ポルセレーヌ説明
(クリック)

5−3 レースドール


レースドール説明
(クリック)


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6.あとがき

4月10日(日)から12日(火)にかけての作品展示約200名の来館者で賑わった。
これも応援して下さったスタッフの皆さん、Doll指導者広瀬先生と共に
お出で下さった来館者のご理解があったからこそと感謝申し上げます。
中には遠く長野県からお越し下さったNさん・東京からのGさん有難うございました。
期間過ぎても問合せや来場者もあり、5月末までこのまま展示し置くこととしました。
妻の一周忌を前にやり遂げることが出来一つの供養となったことは私事ながらお礼申し上げます。

谷田部玲子経歴

昭和13年2月25日 生
平成27年4月19日 没 77歳
結婚 昭和36年10月1日
二人の子供(男子)授かる。

 

 実に趣味の多い女性であった。
華道・茶道・コーラス&アロマに触れる一方革細工等の手芸品に興味を持ち、休日は殆どこれらに費やしていた。
 中でも夫、私の唯一趣味でもある「絵画」へも手を伸ばし、理論的にも「なるほど」と一目を置く域に達し私を追い詰めた。
 
50歳を過ぎた頃、子供から手が離れることで更に転機が訪れた。
 
紙粘土&陶磁器で作るDollに興味を抱き、ロマンドール協会栃木支部 師範 廣瀬 恵美子講師の下へ通い、同じ教室の方々との触れ合いも楽しく居心地が良かったことも相まって、Dollの魅力に気兼ねなくのめり込んでいった。
 
平成元年、居住地変更で緑二丁目から上戸祭町(の交通不便な俗に言う水道山)へ引っ越した。今こそ語り草となっている「あの江川も足腰鍛錬した階段」の難所を通らねばならなかった。・・・がDoll教室へ通いたい一念で、53歳にして車の免許を最短日数で取り、教室へ通い続けていた。
 その後、陶磁器を焼きあげるための「電気窯」を求め、自分で作品の最終完成まで行うようになっていた。
 
然し、加齢とともに足腰の衰えは待ってくれなかった。楽しみの教室へ通うことが困難になり平成26年「廣瀬教室」を泣く泣く止める決心をした。この決心を先生の下へ告げに同行した折、帰り道での淋しそうなあの表情仕草は今でも鮮明に想い出される。

                                  夫




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